2015/01/25

『完全主義者』テッド・チャンさんインタビュー(リンクと拙訳)

大好きなSF作家テッド・チャンさんの新しいインタビューが、先日ネットで公開されていました。ファンの方はもちろんですが、創作を(とくに他に仕事をしながら)なさっている方にも興味深い内容だと思うので、勉強を兼ねての拙訳を置かせて頂きます。よかったらご覧下さいませ。(いつもチャンさんの情報は母艦サイトの専用コーナーに載せてるんですが、この記事は上記のような理由でこちらに載せることにしました)

自分が目にした限りでは、ご本人が初めて『あなたの人生の物語』の映画化について触れているインタビューでもあり、新情報は少ないながら(だからこその工夫で?)場の雰囲気が伝わってくるいい記事でした。

ソースはこちら。写真も撮り方が素敵です。


(I don't own the rights to this article. All rights belong to the website above.
Just as a fan, I translated this beautiful article into Japanese.)

…この手のネット記事の私的翻訳、洋画系では時々読ませて頂いてるのですが、自分がする段になると毎度悩みます。商用サイトではないので、ファン活動の一環として載せますが、なにか問題がありましたら削除しますね。(^^;)


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完全主義者

テッド・チャンのサイエンス・フィクションはたくさんの賞を獲得する。発表した時には。だがその機会は少ない。


テッド・チャンは考え込む。明るいオレンジ色のクレメンタイン(みかんの一種)は、半分皮をむかれたまま彼の手の中に収まり、わたしのテープレコーダーは、彼の自宅のダイニング・テーブルのうえに陣取っている。シアトル郊外。周囲は森の中のようで静かだ。沈黙のうちに5秒が過ぎる。そして10秒、15秒。チャンと会話をするということは、一つ一つの言葉の重さを、注意深く測る男と話すということだ。まるで宝石商が石の重さを測るように。そう私は理解し始める。彼は正しい言葉を見つけるまで、沈黙することを恐れない。

だから、彼が今「なぜもっとたくさん書かないのか」という質問について熟考しているのは、いかにも似つかわしいことかもしれない。実際、25年にわたるキャリアのなかで、彼が発表してきたのはたった14の短編――平均すれば2年に1作だ。
「物語に仕立てられるようなアイデアを、たくさんは思いつかないんだ」彼はやわらかく微笑みながらやっと説明する。47歳で、チャンはまだしわのない、20代かそこらに見える顔をしている。見た目に実際の年齢を示すのは、束ねた黒い髪にある灰色の筋だけだ。さらに10秒が沈黙のうちに過ぎる。外では弱まりゆく秋の日が、景色の陰影をますますぼやけさせる。「書くことは、僕にとってはとても大変なことなんだ。物語にできるアイデアを思いついたときでも、実際に書くまでには長い時間がかかる」

おそらくあなたの近所の本屋では、彼の唯一の短編集"Stories of Your Life and Others"(邦訳書名『あなたの人生の物語』)を扱っていないだろう。そしてサイバーパンクやバトルスター・ギャラクティカを好む平均的なSFファンには、彼が誰だか見当もつかないかもしれない。だがSF界のメインストリームで無名であるにもかかわらず、チャンはこの20年ほどで、このジャンルで最高の賞を静かに総なめにしてきた。これまでのところ四つのネビュラ賞、四つのヒューゴー賞、一つのシオドア・スタージョン記念賞、そして四つのローカス賞、そしてほかにもたくさん――しかし全作品を集めても、中くらいの厚さの本に収まってしまうだろう。

さらに驚くべきことには、チャンはしゃべる宇宙船や星間戦争といった、いかにもSFという題材には頼ってこなかった。慎重に考え抜き、深くリサーチして寓話を作り上げることによって、それらを獲得することができたのだ。彼の作品は、科学の概念で人間の置かれた状況を照らし出す。たとえば"The Marchant and the Alchemist's Gate"(邦訳タイトル 『商人と錬金術師の門』)では、ノヴィコフの首尾一貫の原則――タイム・トラベラーは過去や未来の出来事を決して変えることはできない――を使い、わたしたちが後悔とどう向き合うかを探る。"Exhalation"(邦訳タイトル『息吹』)は独創的な死についての寓話で、チャンは「エントロピーについての物語」と表現している。それらは面白くて想像力に富んだ物語で、最後の一行まで、読者に自分が賢くなったと感じさせてくれる。

「ときどき、僕の作品を読んだ人にこう言われるんだ。『気に入ったよ。でもこれってほんとのSFじゃないよね?』って」そう彼は言う。「そして僕はいつもこんなふうに感じる。いや、実際は、僕の作品はまさにサイエンス・フィクションなんだって」スターウォーズはこのジャンルを、チャンが言うところの「レーザーでドレスアップした冒険物語」の同義語に永久に変えた。それ以来みんな、サイエンス・フィクションに「サイエンス」という言葉が入っていることに理由があるのを忘れてしまった。SFは知識の限界を探究することが主眼であるはずなんだ、と彼は言う。「ぼくが作品のなかでやってるすべてのこと――思考実験をすること、哲学的な疑問を吟味すること――これらが、サイエンス・フィクションがやってることのすべてなんだ」

彼はロングアイランドで育ち、父はニューヨーク州立大学ストーニーブルック校の工学教授だった。サイエンス・フィクションに恋をして、15歳で雑誌に投稿を始めた。ブラウン大学に在学中も根気強く作品を執筆したが、一つも採用には至らなかった。増え続ける不採用通知の山にやる気をくじかれ、シアトルに移り、マイクロソフトでテクニカル・ライターの仕事を得たときに、彼は卒業したらフィクションを書くことはきっぱりあきらめようと考えた。しかしSFとファンタジーを対象にした短期間のクラリオン・ライターズ・ワークショップが、彼に書き続けるよう考えを改めさせた。そしてほどなく、彼の粘り強い努力は報われた。1990年、"Omni"が彼の"Tower of Babylon"(邦訳タイトル『バビロンの塔』)を掲載したのだ。それは少なくとも喜ばしいことだった。しかしそれに続いて、最初のネビュラ賞を含む栄光が雪崩のように襲ってくることはまったく予期していなかった。

「シュールな出来事だった」とチャンは言う。そしてオビ=ワン・ケノービ風に、淡いブルーのカーディガンの反対側の袖口に手を突っ込んで、チャン独特の沈黙のなかに沈み込む。「ネビュラ賞を穫ったことが悪いことだとか、穫らなかったらよかったと言うつもりはないんだ。ただ、あれには本当にたまげてしまった」

デビューに続く作品に悩み、彼は数年書けなくなってしまった。90年代のはじめの数年、彼は時々はつつましやかに文章をものしたが、基本的にはマイクロソフトで、プログラマーのためにリファレンス・マテリアルを書く仕事に集中していた。この創作の沈滞をようやく打ち破ったのは、異星人の言語を解読する仕事を任された、ある女性の物語のアイデアだった。我々のものとはまったく違うその言語は、彼女が世界をとらえる知覚をも変えてしまう。

「最初にそのアイデアを思いついたとき、言語学について学ばなきゃいけないだけでなく、頭のなかのストーリーを書くには技術的にも充分じゃないとわかったんだ」それでさらに4年間、彼は言語学を学び、文章を磨き、ストーリーのすべてのディテールを設定した。「これは言っておかなきゃいけないな、このやり方をすべての人に薦めてるわけじゃないからね」彼は笑う。「ただそうなったってだけのこと」

長い熟成の成果は、1998年の"Story of Your Life"(邦訳タイトル『あなたの人生の物語』。短編集表題作)。物理学、自由意志、言語、そして母性についての、圧倒されるような深い洞察に満ちた物語だ。この短編はおもなSF賞を腕いっぱいに獲得することになり、チャンはすぐにある執筆ルーティンに落ち着いた。今の彼は半分の時間をテクニカル・ライティングの仕事にあてている。人にものを説明するのが好きだから、この仕事を楽しんでいると彼は言う。そして残りの半分はフィクションに捧げる―― さらにこのシステムには、ほかの作家が直面する経済的なプレッシャーから彼を解放するメリットもある。そのおかげで、彼は自分が望む場合にだけ、なんでも書きたいものを書くことができる。

発表から20年近くを経て、今『あなたの人生の物語』は、最初の受賞以上にチャンを狼狽させそうな注目を彼にもたらそうとしている。今年の早い時期に、監督のドゥニ・ヴィルヌーヴは、5000万ドルでこの物語の脚色映画を撮影し始めることになっている。主演はエイミー・アダムス。もちろんハリウッドは、山ほどの作家をその作品の映画化で失望させてきた。その中にチャンほど厳格な作家はほとんどいない――彼は自分の作品が望んだようにはでき上がらなかったという理由で、一度ヒューゴー賞を辞退したことがある。やはりどちらかと言えば、彼は今回のゆく末については困惑しているように見える。

「彼らが来る前、僕は『あなたの人生の物語』の映画化なんて、可能性さえ口にしなかったと思う」そうチャンは言う。「僕にとっては何か理屈に合わないことなんだ。だから、もし僕がずっと映画化を夢見ていたとしたらそうだろうほどには、入れ込んではいないんだ」

ふたたび、チャンは沈黙する。10秒が過ぎる。彼は鼻の縁なしめがねを押し上げる。15秒。わたしは彼がなにか深淵な思索に入り込んでいるんじゃないかと思い始める。原作付き映画というものについて、夢について、あるいは物語ることの量子物理学について。20秒。チャンは微笑む。「できあがることを祈るよ」そしてもう一言。「いいものになるように」



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出てきた本・用語リンク

短編集『あなたの人生の物語』

ここがウィネトカなら、きみはジュディ 時間SF傑作選 (『商人と錬金術師の門』収録)

ノヴィコフの首尾一貫の原則(Wikipedia 「親殺しのパラドックス」内)

2015/01/24

PC用無料アプリkindle for PC、よーやく日本語ストア対応!

Windows PCでkindle本が読めるアプリ、ようやく先日日本語ストアでの無償提供が始まりました!

Kindle for PC 日本語版

これで大きな画面で漫画も読めるし、kindle本体だのスマホだのなしで、普通のPCでkindle本を読めるようになりました。

正直「日本語対応遅すぎ!!!」というのが本音!(^^;) だってこれが(USストアに)あったから、日本語ストアができたら『追憶のシャーロック・ホームズ』をkindle化しようって思ったんですもん。PCさえあれば60秒で、通販より気楽に廉価で読んで頂ける…と。さんざん「PCで読めますから」って事前告知してたので、日本語のkindleストアが始まったときにこれがなかったのは大ショックでした!(^^;)

とにかく、これで漫画も大画面で読めるので、作るときにコマ分けしなくてすむかな…なんてことも思うのですが、まあそのへんはまた作るときに考えます。

これまで環境が整わなくて読めなかった方、少なくともこのブログが読める環境のすべての方が、これでkindle無料アプリを使えるようになったんじゃないでしょうか。よかったら試運転代わりに、無料サンプルからお試しくださいませ。よろしくお願いいたします。

2015/01/19

ゲイティス兄さんのニッポン鉄道の旅+懐かしの『SHOGUN』

昨年夏のマーク・ゲイティス氏の日本旅行、ぜんぜん報道がなくて「プライベート旅行だったのかー」と思ってたんですが、1/17付けのガーディアンページにどどんと特集記事が出たのをご本人がアナウンスしてくださいました。独占というか、カメラマン同行だからそもそもガーディアンの企画でしょうか。(まだ最後まで読んでないのです(^^;))とにかくようやく詳細が出ました。わーい❤


うれしくて勢いで冒頭だけ訳してしまったので、即席でこなれないですがとりあえず載せます。大カッコ[ ]は訳注、丸カッコ( )は原文にあるカッコです。ガイジンさん目線が面白いので、その雰囲気でわざと訳さずにカタカナで残してるところがあります。ご了承くださいませ。

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マーク・ゲイティスの日本縦断鉄道の旅

ずっと日本には行ってみたかった。理由はうまく言えないけれど。『007は二度死ぬ』や『SHOGUN』から、Tenkoクライヴ・ジェームズ・ショーにいたるまで、子供時代の影響は入り混じり、そこから生まれた印象は錯綜していて、熱狂的で、矛盾していた。それでいて美しいカルチャーは、ひそかに僕を魅了した。一つ、どんなガイドブックでも意見が一致することがある――八月には行くな。桜咲く春に行くといい。または秋、たくさんの緑の葉が燃え立つようなあかがね色に変わる。しかし蒸し暑い八月は避けろ――。とまあそういうわけで、昨年の8月9日、僕と友人のエマは出発したわけだ。

東京は、僕らが着いたとき巨大台風のしっぽにひっかかっていた。長いフライトのあと、すべてを押し流す雨のカーテンのなかを歩くのは、たいしたすがすがしい体験だった。目はむずがゆく、時差ボケでぼーっとしていたが、僕らはなんとか足をひきずり、東京国立美術館を見て回った。なんとなくすべて現実感がなく、カタカタいう奇妙な音が絶え間なく聞こえた。まるで誰かがいたずらにグロッケンシュピール[鉄琴]を鳴らしながら、僕らのあとをつけてくるようだ。やがてそれが、後ろの若い二人連れが出している音だとわかった。美しいキモノを着て、目もくらむほど白くてつま先が二つに割れた、ちょっぴり不気味なソックスを履き、ごろっとした木のサンダルが、彼らが歩き回るたびに独特の音を立てている。

必死で眠気を追い払いながら、僕らは食事のために小さくて感じのいい店を見つけた。メニューを決めるまでには、山ほど指さしたり笑ったり。それでもウェイターたちは親切で、僕らを助けてくれた。ほかの客との間は薄い仕切でさえぎられていたが、今ではけしからんとされるたばこの煙が、ぼくらのおいしい生のウズラ[のたまご?]の上を漂っていく。なんとも懐かしい感覚だ。僕らは激しい嵐のなかを車で戻った。東京は一転してぼやけたネオンの街だ。そして白い手袋をした運転手、しゃべる自動ドア付きの車。1970年代に描かれた未来から抜け出たようだ

翌日、ぐっすりと眠ったあと、朝食で出会ったのはやたらに謝るウェイトレスだった。「お待たせしてすみません」。彼女は頭を下げてはほほえみ、ほほえんでは頭を下げる。少しも待たせてなどいないのに。僕らは地下に降り、驚くほど清潔で効率的な地下鉄に乗った。このホリデー・シーズンはかなり空いていて、伝説的な押し合いへし合いはまったくない。最初に降りたのは、有名なツキジ・フィッシュ・マーケット[築地市場]。働く人々の世界と観光アトラクションの奇妙な融合だ。タコの足が砕いた氷のなかでのたうち回り、鉤を持った男たちが巨大な冷凍ツナ[マグロ]を切っている。まるでピンクのアラバスター[雪花石膏]の柱を切り分ける中世の職人だ。ツナ・フレークが床に飛び散る。捨てられるのか、それともセインズベリー[イギリスのスーパー]に送られるのかは知りようがない。

つづいて僕らは、たくさんの(ほんとにたくさんの)聖地のうち最初のものを訪ねた。革新的だった偉大なエンペラー・メイジ[明治天皇]を記念して建てられたもので、美しく設計された森の中の小道が、参拝エリアと神霊に願い事をするための小さなブースへとつづく。ほどなく、すべての神社がこれを備えていることがわかった。デパートの割引セールのように、神の恩寵をたたき売りしている。だけど大聖堂の売店で聖歌のCDを売ることと、これのどこが違うだろう? 作法として手と口をゆすぎ、願いごとを書き、木の板に吊るす。ここには少しばかり容赦のない商業化というものがある。君が訪ねるほかの多くの神社にもだ。

(つづく)

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美術館で遭遇した「キモノ」は浴衣かな?…でも足袋?…そんで下駄? そもそも台風の日にキモノ着て美術館に?…とかいろいろ気になりましたが、まあそうだったんでしょうね。(笑)

『将軍』の名前が出たのが、我が家でも夢中で見ていたので懐かしかったです。主演の三浦按針役だったリチャード・チェンバレンがめちゃくちゃハンサムで素敵でした。史実の按針さんはこんな方だそうです。

Wikipedia:  ウィリアム・アダムス (三浦按針)

(ちなみに中の人チェンバレンさん、69歳になってからカミングアウトなさったそうで……ってよけいなことはいいんですが(^^;))

Youtubeにブルーレイの宣伝映像があったので貼っておきます。うわ~なつかしい~❤



記事はまだまだ続いてます…今週はちと時間がとれないのですが、勉強1: 煩悩9くらいの気分で残りもボチボチ訳文を作ってみたいです…♪(間違いがございましたらご教示くださいませ。自分で見つけたらこっそり直します(^^;))

2015/01/17

いろいろお楽しみモード+自分のための"The Game" 予告編集(ジョナサン・アリス出演)

ええと、やっとコミケ疲れやら何やらが抜けてきて、いろいろ楽しむモードになっております。

ホビットをやっと見たり、美老人アンソロさんの原稿準備でいろいろ再見して萌え返したり、面白い本や雑誌を引き当てたり、昨夜は007の『ロシアより愛をこめて』がテレビで放映されててロバート・ショウにホレボレしたり。(DVDはわりと最近も見てるのですが、いつもショウのシーン以外早送りしてるので(笑)きちんと見るのが新鮮。吹替えなのも新鮮!)

感想やらなにやら書きたいのですが、今日はそんな中で激しく再燃してるジョナサン・アリスさん萌えを処理(?)しときますー。(笑)

…アリスさんの出演作で、海の向こうで12月にシーズン最終話が放映がされたばかりの、"The Game"というのが見たくて見たくてたまりません!ええと、70年代が舞台でスパイもの、60分が6本のミニシリーズらしいのです。舞台設定だけでもたぎりますが、IMDbでは評価も8.0と高め!で、ジョナサン・アリスさんの名前がなぜかキャスト欄の2番目に!(なぜかってなんだ(^^;))…役名はアラン・モンタグ。(「あらん」て響き、オールド腐女子はムダに萌えが発動しちまいますね!(笑))予告編を見たら、なんか盗聴してるっぽいのです。レビュー等読むと、音響エンジニア(?)となってて、ちょっとアンダーソン的なところがあるらしいです。(笑)

そのうえ、キャスト欄にはSHERLOCKでショルトー少佐をやってたアリスター・ペトリさんや、大好きなスティーヴン・マッキントッシュブライアン・コックスなんかも並んでるのです。これはたぎるっ!❤ …ペトリさんやマッキンさんは6エピソード中1エピソードの出演ですが、コックスやアリスさんは6エピソードすべてに出演。レギュラーですね。予告編では声も聞けるし、一瞬だけど青い目がしっかり見えるアップもあってもうたまらんのです。

…シーズンファイナルである6話の予告編では、アランはなんか銃まで向けられていてどうなのこれ!うわーなんなのこれ!(おちつけ)いやー70年代の扮装似合いますよアリスさん!あの髪型とかヒゲとか、もともとそんな雰囲気だものねえ❤(すいません、もう目にフィルターが(^^;))

…ググッたらUSのAmazonで有料ストリーミング視聴を提供してるようなのですが、自分は字幕がないと無理ですし、英語字幕の場合は一時停止してじっくり辞書ひいて見たいし、うちのPC環境が動画向けではないのでハンパにネタバレするだけかも、と諦めました。日本で放映とか…せめて英語字幕つきDVDとか出てくれたら……。と待っているわけですが、とりあえず飢えを満たすために、Youtubeに上がってる予告編を集めときます。はい、例によって自分が効率よく見直せるように。(笑)主演の人はちょっとキリアン・マーフィーっぽいお顔ですね。












2015/01/14

ぷちクラッシュ明け+いろいろ

…というわけで、ぷちクラッシュいちおう終了。作品は残念ながら完了とはなりませんでした…というか、資料を読んでたらどんどん横に広がってしまい、空中分解というか、二つの別のプロジェクトができてしまいました。(^^;)でもやっぱり、こういう時間をとったのはよかったです。漫然と過ごしていたら、このネタも生まれることはありませんでした。すごくいい資料も見つかったので、少し長めに書き直してJ庭あたりにでも出せたらいいなあ、と思います。

最初は、今日(もう昨日か)締め切りの創元SF短編賞への応募を視野にいれていたんです。そこでなくとも、とにかく商業媒体への小説の投稿というのをやってみようと。(今年はとにかくオリジナルを書きたいので、具体的な目標・外的締め切りがあったほうが励みになると思ったんです。というか、むしろそういう外的な締め切りがないと書けないかも、みたいな弱気でした(^^;))で、創元さんはもう間に合わないな、と思った時点で他をいろいろ調べてみて、自分のやりたい方向の作品て、公式に募集している枠自体がない!というのを改めて思い知りました。いやはや。(^^;)

…今回に関しては、SFというより、藤子F先生がおっしゃっていた「S (少し) F (不思議)」というゆるい感じでネタを作りました。その「SF」には科学ネタだけでなく、オカルト系とか超能力とかUFOとか古代史とか、自分がそそられる「レトロな不思議」も全部ひっくるめちゃってるんですけど……これは「広義」ならたぶんSF系でしょうけど、ハードSFを基準にしたらSFとは別物です。ファンタジーというのもちと違う。…そしてそこにJUNE感覚が「自然に」同居してるんです。なんて言うんだろう、こういうの。しかも理想が「同性愛者が出てきてもへテロの男性も読めるような、一般映画の表現の範囲」。こうなると、商業さんのSF募集枠にもBL募集枠にも無理があります。

たとえば商業ジャンルとしてのBLは、官能シーンを提供するものという定義になってるみたいですから、自分の理想のさじ加減だとぶっちゃけ「金返せ」になっちゃうと思います。(自分は同人誌では18禁も書いてますから、別にカマトトぶってるわけではないです(笑)。ただ、ヘテロの夫婦やカップルが出てくる作品で、「すべて一様にベッドシーン必須」なんて思わないですよね?それとおんなじ感覚なんです。自然にJUNE系設定が出てくるのは、単純に男性同士のほうが書くのも読むのも楽しいから(笑))

第一……これは今回、BLを募集しているところをきちんと見回って初めて知ったんですけど……募集要項にSF等は不可、と最初から断り書きがあるところも多いんですね。SF的な設定なんて今どきテレビドラマでもありふれてるし、SFや歴史もののやおい好き女子はむしろマジョリティだと思っていたので、正直ぶったまげました。(笑) …でもまあ、自分の視野はベースが同人誌界ですから、ここから見える読者層と、商業BLさんが想定している読者層はまったく別物なんだな、とひしひしと感じました。

そしてSFは…創元さんの募集はいちおう「広義の」SF、と入ってるので幅が広いかしら?と思ってたんですが……過去の系統を見直すと、やはりハードSF系(すごくミもフタもない言い方をすると、理系ネタでくすぐられちゃう層への「サービス」があるもの)が歓迎されているし、それにこちらは逆に……これも今回細かく調べて初めて実感したんですが……同性愛表現はまだご法度に近いですね。未来社会ならあたりまえのように同性愛カップルもいるだろうなあ、と想像してしまうんですが……意外なことに、コレに関してはリアルのほうが少し先をいってる気がします。

伝統的に男の子向けのジャンルということもあって、(自分を含めた女性読者も「そういう部分」ひっくるめて慣れているので)、二次はともかく一次創作では違和感があるかもしれない、と、とくに反感はなく自然にそう思いました。男女の役割分担は様式美のレベルで保守的かもしれません。「男勝りな美少女」とか含めて、「男の子/元男の子から見て魅力的なもの」の範囲がベースになってるのは当然といえば当然。あえて男性の同性愛を出すとなると、それなりの問題提起があるジェンダーテーマのSF、みたいな扱いでないと申し訳ないような雰囲気を感じます。自分が百合を見てもまったく楽しくないのと同じですから。お隣さんのゲイカップルに回覧板置きに行く、みたいな「あたりまえ社会」を出すのは……漫画ならスルッといけるかもしれないけれど、小説でしかもシリアスなものは、少なくとも「今の日本」では(巧拙以前の段階で)かなり難しいかもしれないな、と真剣に感じました。これから変わるかもしれないけれど。

…自分に見える視界では、女性がSF小説やSF映画を好むのは普通なんです。そして自分の作品を読んで下さる男性読者さんは、当然うちでやる程度のJUNE表現はオッケーな方々。…なので、「JUNE感覚を解する人で、SF設定も自然に読む人」が、自分のなかであたりまえになってしまってるんですね。これが全体から見るとじつは少ない(少なくとも商業出版ではそう考えられている)ということ…わかってるようでわかってなかったです。(^^;)

…今回たまたま思いついた二つのプロットが、両方ともSF的設定でJUNE要素があるんです。一つの設定はわりとリアルな近未来社会で、でもはっきりと微JUNEシリアスなので、腐女子さんが得意な深読み感覚を当てにした書き方になってるんです。だからBLかと思うんですが…商業BLだとSFがご法度だし、たぶん深読み系も欠点になると思います。(でもここは、露骨に書いてしまうと深読みスキーとしては価値が下がるところ)もう一つは「少し不思議」系で、「あたりまえのように」同性愛者が受け入れられてる世界を書いてましたので、BLでもSFでも「なにかが足りない」ということになると思います。落ち着いて考えると両方とも、商業枠に応募するのは無理そうな作品でした。というか、自分はどうもそういう「すきま」の領域に魅力を感じてしまうようで、これが「やりたい世界」「見たい世界」です。ネットや同人誌ではこの手のニッチにも制限はありませんから、どうも商業出版と感覚が乖離してしまうんですね。

ただ、「こういう作品を発表できる場は(同人誌以外に)あるかな。あったら読んで下さる方が多い場に持って行きたい」というスタンスなので、応募先の基準に合わせて変更するのは本末転倒なんです。…試しに改稿はしてみたんですよ。シリアスのほうを、ヘテロ設定に。でもそうなると、自分がそれを書いたときに表現したかったものが薄くなってしまいました。やはり自然に出来上がった作品を捻じ曲げるのはよくないんだな、と思いました。でも、マジョリティ向けの作品しかなかったら世の中面白くないよなあ、とも思ったり。(笑) だいたい自分が面白いと思わないアプローチのものは、いくら世の中に需要があっても書けないですし。やはり人口が少なくとも作品に合う場を探す、というスタンスしか取りようがない気がします。むー。

…今回実感したのは、なぜか自分は商業に応募すると意識すると、「自分にとっては面白くないものを書かなきゃ」という矛盾したプレッシャーを感じるということでした。たぶん、売れ線の本にまったく食指が動かなかったり、評価の高い本がまったく楽しめなかったりという経験が多いせいだと思います。SHERLOCKみたいに世間様と合うことも映像ではけっこうあるんですけど、なぜか本の場合は比率が低いんですよね…そういうものかもしれませんが。

でも、先日とある定評のある、受賞歴もある、しかし自分にはどこがいいのかまったく理解できなかった海外作品(好き嫌いの問題なら「でもここが評価されてるんだろうな」とたいてい想像できるんですが、それすら想像できなかった珍しいケース)のレビューを読む機会がありまして、四人中三人が星五つ、一人が星一つ、というのに出くわしました。その星一つの方のレビューがまったく同感だったので、その比率で「別に自分『おかしい』んじゃない。『少数派』なだけ。たぶん世の中の四分の一の人は似た感覚を隠してる」、と思うようになりました。(笑))

…そんなこんなで悩んでいたとき、テッド・チャンさんのインタビューを読みました。(あとで母艦サイトのチャンさんのコーナーにリンクと、できれば訳も上げておきます)この方は、もう何度かご紹介していますが…(こちらは賞などの評価と自分の嗜好が合ったケースです(笑)) すてきな宝石みたいな作品をお書きになってるんですけど、寡作です。本業は別に持って、作品になりうるアイデアを思いついたときにだけ、しかもすごく時間をかけてていねいに書くという、ある意味すごく贅沢な書き方をしている方です。以前からそのへんのバランス感覚含めて尊敬しています。ご自分にできることとできないことを明確に認識しておられる、という意味で。久しぶりのインタビューながら新情報は少なかったのですが、なにか目を覚まさせられた気がしました。こういう作品の作り方…大袈裟かもしれませんが、こういう「生き方」もあるんだと。なんか最近人生の残り時間を気にして焦ってしまうんですけど、あんな才人でさえあんなに時間をかけるんですから、自分程度の者は、じっくり吟味しないで不本意なものを作ったら、あとで後悔するに違いない。あとで自分が成長して「こうすればよかった」と思うことはあるとしても、「書いてるとき・作ってるとき」の自分の恥じないものを焦らず作りたいと思いました。

…なんか硬いことを書いちゃったなー。あとで自分の首がしまりそう。(とにかく書く事が大事、という時もありますよね、うんうん。モードなんてコロコロ変わるものなんだから、柔軟でいなくちゃ)…そうそう、今回もう一つ思ったのは、自分は「SFはカタカナの世界」だと思っているということでした。なんか、日本人のバンドがロックをやりたいってときに、やっばり発音ヘタでも英語の歌を歌ったりする、それと同じ感覚で。日本を舞台にするなら、今の自分はSFというより伝奇っぽいものを書きたくなる、とわかりました。なんか、舞台設定と作品世界の組み合わせが自分のなかにあるみたいです。

ともあれ、自分の書きたいものを書いて発表できる場がある今の状況はありがたい、と改めて思うのでありました。今年はオリジナル出したいです。やっぱり。