2016年12月28日水曜日

コミケと年末年始無料配信のお知らせ

まずはコミケ


またまた直前ですが(^^;)、12/30(二日目)コミックマ―ケットに出展します。スペースは

西み29b、SUSSANRAP(サッサンラップ)

です。西は企業ブースもあるし、今回は29日か30日に叶姉妹もいらっしゃるそうなので↓(笑)、ぜひいらして下さーい♪



スプレかと思ったら「万札はだめ、千円札で」などのアドバイスに従って用意してるんですって。買い物…?ていうか何冊買うつもりなんだー。(^^;)聞いたところではジョジョのファンだそうで(未読ですスイマセン)、周りの迷惑にならないようにと準備もきちんとなさってるようです。半分話題作りだとしても心温まる話題です(笑)。どうせなら楽しんでいってほしいですねー。グッドルッキングなガイズに紙袋いっぱいの薄い本運ばせてる図を見てみたいですー☆


そちらの話題に吹き飛ばされそうですが(笑)、うちのサークルカットはこんなでえす♪

今回は念願の創作JUNE/BL(たぶん叶姉妹はこないエリア(笑))で、マイルドBLイアンシリーズがメインです。お試し短編二種無料配布をいたします。残念ながら新刊が間に合わないので、初物はペーパーだけ(現在鋭意製作中!)。これをいれて三種が無料なので、初めての方向けに無料ものだけのセットも組みます。ささっと持って行っていただけたら嬉しいです!他に二次の既刊の残り(SHERLOCK、The Game、ピーター・カッシング、ホビット)も少しずつ持ち込みます。ペーパーはゆるくイアンのモデルにさせていただいたジョナサン・アリスさん萌え語りも入れちゃう予定なので、ファンの方もよかったらもらってやって下さい♪



おしながきを兼ねたポスター。創作エリアで「イメージソースはアリスさん」とか謳っても
意味がないので(^^;)、オリジナルとしてのPRに絞りました。
(作品はもちろんオリジナルとして読んでいただくことを前提に書いております!)

うう、しかしこんな説明で足をとめて下さる方はいらっしゃるかしらん…。


当日持ち込み品は、母艦サイトの他pixivやウェブカタログでもお知らせしています。

おついでがありましたらぜひ。既刊のご感想など一言いただけますとヒジョーにヨロコビます。
おしゃベリだけでもお気軽にお立ち寄りくださいませ。お待ちしております♪






年末年始無料配信

こちらはkindle本で、コミケでお試し無料配布をするのに合わせて無料配信をいたします。最近kindle無料アプリをインストールなさった方、クリスマスにkindleをゲットした方もぜひ、お試しくださいませ。

一冊目はイアンシリーズの長いお話の分冊版上巻。29日夕方五時頃からです。

2016/12/29~2017/1/3(PM5:00頃開始・終了予定)

もう一冊、『追憶のシャーロック・ホームズ』も分冊版の上巻を無料配信予定。同時にしたかったんですが、こちらのKDPセレクト登録が29日に切れるため、更新日をまたがった設定ができないとのことで、たぶん30日の午後五時頃からになります。よかったら合わせてご利用ください。

2016/12/30~2017/1/3(PM5:00頃開始・終了予定)




下は上記の統合版で、これを三分割にしたものが分冊版です。レビューを下さった皆様、改めてありがとうございます。m(_ _)m


2016年12月18日日曜日

「つなぐ」。/『ローグ・ワン/スターウォーズ・ストーリー』

2016/12/16 の初日に鑑賞いたしました。『ローグ・ワン』。スターウォーズは前回のは見てないくらいで、ピーター・カッシングが出ている一作目(シリーズでは四つ目の位置になってる『新たなる希望』にあたるやつ)を除けば思い入れは少なめのほうだと思いますが、ああ、そんなにアリスさん好きか私。(うん!(笑))

以下は鑑賞後、モスバーガーでポメラに吐き出した感想をベースに記します。前回の記事はなんか酔っぱらったよーな文章で読み返すとお恥ずかしいですが、今回も別の方向で酔っぱらってますー(@下戸)。キャスト話多め。パンフは買ってないので、そちらを読めば解決することを謎がっていたらすみません。(^^;)

*      *      *

出てましたあ~~!ジョナサン・アリスさん!💓 役名が議員というので元老院かと思ったら、反乱軍の評議会議員だったのですねー…! 全体にダークな色調の中、和服風の赤のでかい半襟(?)のついた、ちょっととってつけたような(笑)衣装でけっこう目につきました。でも気づいたのは声が先だった気がする。髭つき…だったような。(字幕読みながらだと画面に集中できなくて記憶があいまいです(^^;))めがねがないのはまあ、スターウォーズだし。名前があるのが不思議なくらいのちょい役でしたが、台詞はあったし、立ったままの円卓会議でヒロインの横、とわりと位置は恵まれてたのでは♪ 映るのがあまりに一瞬ずつなので、劇場で指が巻き戻そうとしていた自分が哀れです。(笑)

SHERLOCK陣では、他にショルトー少佐役だったアリスター・ペトリさんも出演。反乱軍の支部(?)のちょっと強面なリーダーでハマってました。他に、フォレスト・ウィテカーは『メッセージ』も楽しみですが、今回もいい役ですね。この作品は姿で語らないといけない。台詞なしでもキャラクターがわかるような、歌舞伎みたいなところがあります。それに見事に応えてました。

実は朝に歯医者に寄って、そこで流れてたテレビのワイドショーでローグワンの主要キャストと監督のインタビューが流れてたんですが……「すでに亡くなっている俳優もでているそうですね?」 という質問で思い出しました。そう、ピーター・カッシングターキンがCGで「出演」、というニュースが製作時期に流れていたのでした。(その他はまあ、お楽しみということで)監督は「ファンの人は嬉しいと思うよ」との答えでした。

CG、なかなかよくできてましたが、今時のビデオゲームクオリティという感じ。(ビデオゲームやらないけど、CMなんかで目にするので)やっぱり不自然なところはありますが、これは敢闘賞でしょう。声はほかの方なのか、合成なのかわかりませんが、ちょっと違うかなーという感じはしました。でもこれも敢闘賞。わりとちょくちょく出てきて気が抜けませんでした。(笑)

でも、私、ピーター・カッシングに惚れたきっかけはターキンだったので、今回これで初めてカッシング丈の「姿」を見て「なんてきれいな/かっこいいおじいさんなの」と転ぶ小学生とかいるんじゃないかしら、と期待しております。

そう思うと、自分がすでに「譲る側の世代」なのだと感じました。劇場を出てから、前を中学生くらいの男の子のグループが、映画の内容を話しながら歩いていて、なんかしみじみ。もちろんシリーズはDVDで見られるから、若い人だろうが子供だろうが、予備知識をもって見に来る層は多いと思います。それを織り込んで、オールドファン向けのサービス・オマージュてんこ盛りで、第一作に「つなぐ」という役割それ以外に言いようがない作品だと思いました。独立した作品として見るのは難しい。ラストも「ああ、ここにつながるんだ」という感慨で終わるので、第一作のスターウォーズ(おっと、『新たなる希望』のことです(^^;))がラストで一応カタルシスを得ていたのとは違います。

カッシング丈は、たしか(第一作でああなったので)続編に出られないのが残念、と自伝で書いておられたのですが……役に愛着があるのではなく、単純に俳優として「続きの仕事」につながらないことが残念、ということで(笑)……いやいや、見事に出演なさいましたよ。やはりね、別の敵役じゃだめなんですよ。あなたのルックスでないと。それくらい、あなたはこの作品に刻み込まれてるんですよ。エンドロールのキャストでも、Peter Cushing OBE (大英帝国四等勲士)と肩書き付きで出てきました。字が細かくて読めなかったですが、造型元ということでしょうか。それが普通にキャストの流れで出てくるのが嬉しかった。足元スリッパの画像をぜひ、とかくだらないことは言いますまい。(言ってる(笑))

CGターキンはけっこう何回も出てくるので、オールドファン向けのトリビュートとかオマージュではなく、完全にキャラクターの一人でした。それが逆に嬉しいような気がします。トリビュートとしては、別の作品でクリストファー・リーが演じたドゥークー伯爵の手の上で小さな3Gのデス・スターが再生されたシーンが最高にぐっときましたから、正直それを超えません。でもそれでいいんだと思うんです。

Xウイングの酔いそうな戦闘シーンの「●●リーダー」の点呼に至るまで、もう全編オマージュでした。キャラクターの役割もアレがアレ、と対照できる。東洋テイストも今回は本物の東洋人が担っていて。ドニー・イェンマーシャルアーツ版座頭市、かっこよかったです。もう一人のバブルガムブラザーズのトムさんみたいな東洋人さんとの絆描写も女子にはたまらんですねえ……!

個人的につかまれたのが、中東系イケメンでメッセージを運んだパイロット。触手ごーもんシーン(ちゃう尋問シーン)とかなんのサービスですか。(喜ぶな!(笑))この彼もだんだん重要な役になっていって、最後の一言がまた殺し文句で、これで同人誌ではマッツ・ミケルセンとのやおいが花盛りになるんではと期待しています。(たぶんはずれます(笑))

でも完全に「つなぎ」のお話が運命づけられてるので、なんかキャラクターがもったいない気がしました。主人公のジン、すごくよかったです。レイア姫が完全にスペースオペラのお姫様の造形だったことを思い出すと、今回のジンに安直な露出系サービスシーンがないこと、反乱軍の戦闘機パイロットに女性がいるところなんかも、時代の流れを感じます。

というわけで、一本の作品としては「スターウォーズ」の「アレをホーフツとさせる」の範囲を出ては行けない、という制約下で作られた作品だということは割り引かなくてはなりますまい。こまごまと重箱の隅のお宝が連続して、それでけっこう間がもってしまう作品でありました。イマドキの、ヒロインが活躍するアクション映画としては敢闘賞だと思います。…そして本物のカッシング丈を見直したくなりました……。(笑)

2016年12月11日日曜日

"Arrival"を待ちながら/『あなたの人生の物語』の女性の描かれ方+『The Great Silence』!

テッド・チャンさん原作の映画"Arrival"、評判が良いようで、チャン氏自身が映画について語っている動画も出始め、もう来年五月の日本公開が待ち遠しくてたまりません。で、昨日原作の『あなたの人生の物語』を再読しました。久しぶりにきちんと読んだのですが、今回強く印象に残ったのは、「よくこんな女性キャラを描いたなあ」というところでした。以下はポメラに書き出した感想メモに引用などを加えたものです。ブログ用を想定していなかったものなので、ですます調になっていませんがご了承下さいませ。

*      *      *

『あなたの人生の物語』、むしろこういう女性キャラクターが描かれた、という点がエポックメーキングかもしれない。「見られるための」ヒロインではなく、リアルで聡明な精神を持った知的な女性の、「内面」を描いている。しかもSFで。(SFは未来を描いているにも関わらず、ジェンダーについては信じられないほど保守的だ)

リアルに感じたのは、たとえばこんなところ。(この作品は特に、翻訳も素晴らしいと思う)

(主人公の言語学者の女性と、ハイスクールの二年生になっているその娘が食事の支度をしながら話しているシーン)
「ったくもう」とあなたは言う。「あいつらったら、冗談でもなんでもない口調で、体重が問題だなんて言いだすんだから。あたしは男の子たちよりたくさんは飲まないようにしてるってのに、なんとか酔っぱらわせようってする子がまわりにうじゃうじゃいて」
 わたしはどっちつかずな愛想のいい表情を保とうとつとめてる。懸命にそうつとめてる。そしたら、あなたがこう言いだすでしょう。
「ねえ、ママったら」
「なあに?」
「ママだって、あたしぐらいの歳のころは、まったくおんなじことやってたんでしょ」
 わたしはその手のことはなにもやっていなかったけど、それをそのまま言ったら、あなたのわたしへの尊敬の念は完全に消えうせてしまうでしょう。
(ハヤカワ文庫『あなたの人生の物語』表題作 公手成幸訳 p.208)

娘と母がまったく違うタイプの人間として描かれていて、しかも、母は「いわゆる母親型の女性キャラ」ではない。(たいていの、特に男性向けのエンターテインメントでは、女性キャラは母親型と娼婦型しかない)かといって、「頭はいいが意外にも」美人で、白衣の胸元を大きく開けているような陳腐なキャラクターでもない。

映画化の発起人であり、脚本も担当したエリック・ハイセラーの苦労話として、スタジオに売り込んでいる間プロデューサーに主人公を男性にしろと何度も言われた、とあるのはよくわかる。ステレオタイプのいずれでもない聡明な女性、というのはある種の男性には想像もできないのかもしれない。映画産業がそれを標準としているのもわかる。だがそれこそが現実だ。「母親型」「娼婦型」は幻想に過ぎない。人間の多面性の一部として、それに似た属性をどちらか、あるいは両方持つ人もいれば、両方をともに待たない人もいる。当たり前のことだ。当たり前のことを当たり前として描いたから、画期的だと思う。大勢の目から色眼鏡を取り外させるこういったところが、知的な作品だと思うのだ。決して物理の法則を取り込んでいるからではなく。

そういえば、この物語のヒロインには外見を説明する描写がほとんどない。目の色が茶色だというくらいだ。髪の長さも体つきもわからない。男性作家が女性の体つきを「書かない」なんて驚異的なことじゃない?と皮肉を言いたくなる。

だからこそ、最初にこれを読んだとき、てっきり「この作者は男性の名前を使っている女性だ」と感じてしまった。この「女性性」のリアルさは、性別では女性である自分を超えている。(ぶっちゃけ自分には、こんなに自然に女性キャラクターや母性を描ける自信はない)同性愛者とも思えなかったのは、ミソジニー(女性嫌悪)も女性性の強調も感じられなかったからだ。この基準自体が男性差別的なのは自覚があるし、自分がよく知っているゲイの作家はE.M.フォースターなのでその比較に落とし込むのは申し訳ないが、感じたことを正直に書く。ゲイの目から見た女性の表現には、よく皮肉や妙な「記号としての女性性」の強調、女性に対する批評性を感じる。チャン氏の作品はむしろ視点が女性の内側から自然に来ていて、寄り添っているように感じられる。それでいて、女性性の強調はまったく感じない。穏当でリアルなのだ。私なんかよりもずっと女性に近い。驚異的な取材力と表現力ではなかろうか。そしてしっかり、男性キャラが「脇役」になっている。これに心地悪さを感じる映画プロデューサーは多かったはずだ。自然な形でのフェミニズムだとさえ思う。もちろん、作者にそんな意識はないだろうけれど。

映画がこういった側面をどれくらい継承しているかはまだわからないけれど、エイミー・アダムスはかなり得難い役を演じた幸運な女優になると思う。『羊たちの沈黙』でジョディ・フォスターが演じた役も、当時のハリウッド映画としては革新的だったけれど、「能力のある女性にとって性的な侮辱を受けることは当たり前」と考えられていた時代だったのだ、と今見ると思う。二つを(一方はまだ原作しか知らないけれど)比べれば、時代の進歩がとてもよくわかる。男性作家にはある種のリアルな女性は描けない、というのも偏見だということになる。(これは私が持っていた偏見にすぎないのかもしれないけれど)

読み返して、構成がみごとな小説だと改めて思った。『ゼロで割る』も構成で泣かされる小説だ。女性のドラマとして、そして両性にとっての現実的な「ラブストーリー」の範疇としてもすごく泣ける。これも少し手を加えるとかなりいいドラマに映像化できると思う。特殊効果はいらないから、テレビドラマの枠でも。……しかしこの主人公を女性にしたのはなぜだろう。チャン氏のメンタリティは興味深い。

*      *      *

以上感想メモでした。
久しぶりにAmazonでTed Chiang氏の名前で検索してみたら、映画タイアップ版の短編集"Arrival"("Stories of Your Life and Others"の改題版)の他、以前ネット公開されていた"The Great Silence"のkindle版も出ていました! これ、ものすごく短いんですけど、ほんとにほんとに珠玉の一本です。すごく泣きました。今回のkindle版の前書きにある通り、詩のような感触があります。""Exhalation"の原文もそうでしたね。淡々とシンプルな文章ながら詩のようです。(だから散文的に訳された日本語版には少し違和感を覚えたのでした)英語が少し読める方は、ぜひ辞書をひきながらでも原文を味わってみることをお薦めします。文章自体はわりとシンプルで「お行儀のいい」文体だと思います。


下はThe Great Silenceをチャンさんコーナーでご紹介した時の記事です。作品の書かれたいきさつと、さわりの数行だけ訳したものをご紹介しています。(読んだとき全文訳してしまったんですが、もちろん公開するわけにはいかないのでポメラの中で眠ってます。でも翻訳って究極の味読なので、訳している間が至福の時間でした。今も時々推敲して堪能しています。(^^))

テッド・チャン情報メモ The Great Silence (2015/5/20)
(PCサイトです。ご了承下さい)

同コーナーで、最近出たチャン氏の動画もご紹介しています。よかったら合わせてどうぞ。(新情報が乏しかったころの更新ペースがウソのようです……(笑))


ご紹介したkindle本、ArrivalとThe Great Silence。

   

Arrivalは、なんで主演のエイミー・アダムスではなくジェレミー・レナーが表紙なのかな?と思ったら、ペーパーバックは両方の画像がありますね。リバーシブル???

念のため短編集日本語版も。アンソロジー以外では唯一の邦訳書です。




2016年12月3日土曜日

正気に戻れる音楽/スティング・伝説のライブ~40th バースデー・セレブレイション~

いやー、もう最高、最高、最高。1991年のスティングのLAでのバースデーライブ。先日BSで放映されました。

NHK洋楽倶楽部 スティング・伝説のライブin LA ~40th バースデー・セレブレイション~

特にラストを以前見た記憶があって、たしか「ハリウッド・ボウル」という会場名もこれで覚えました。当時放映されたんでしょうね。衣装や曲のアレンジも見覚え・聞き覚えがありましたけれど(でもこれは日本でのライブも同じだったのかも)、最後のド派手なファイアーワークが記憶通りだったのでほっとしました。うっかりツイッターで記憶を頼りにつぶやいてしまったのですが、最近記憶が入り交じってねつ造記憶になってることがあるので。(笑)終盤近くにちょっとしたサプライズもあるので、詳細はこれから見る方のために伏せておきますね。(まだNHKオンデマンドで見られます)

ここからは個人的なファントークになるのでお許しください。スティング、洋楽で唯一好きなミュージシャンで、洋楽でというか、「歌の入った音楽」はあまり聴かないので、CDが出るたびに必ず買った、というのはこの人くらいです。(あとは一時期の聖飢魔Ⅱ(笑))このライブの頃、二十代前半だった自分にとっては、スティングの曲は「聴くと正気に戻れる」音楽でした。なんか人様と接するときって精神的に仮面をかぶるじゃないですか。彼の曲を聴くとそれを外せて、自然な自分の感覚になれるというか。まあその年代ですからいろいろあったんですよね。電車のなかで聴いていて泣いてしまったこともあります。ああ、恥ずかしい。(笑)

友達が何かのサウンドトラックを「カセットテープに」(笑)ダビングしてくれたとき、「これいい曲だから聴いてみて」とついでに入れてくれた『ラシアンズ』がきっかけではまりました。たぶんアルバム『ナッシング・ライク・ザ・サン』が出たばかりの頃だと思います。歌詞が聞き取れたわけではないので、サウンドで充分やられました。

それから歌詞を知ってより深くはまり、しばらくして別の友達に見せてもらった「プロモーションビデオ」なるもの(当時そんなものがあるとは知らなかった(笑))でご本人の姿を見たらこれまたかっこよくてラッキーでした。(笑)でも最初に教えてくれた友達はそれきり邦楽の某デュオのファンになり、ビデオを見せてくれた別の友達も引っ越してしまい、その後ずっと身の回りにスティングを聴いている人はいませんでした。だから「世の中ではメジャーだ」という感覚がなく、ライブも一人で行っていて、「こんなにファンがいるのか」と驚いたくらいでした。(笑)ライブに行っていたのは『ナッシング・ライク・ザ・サン』から『ブラン・ニュー・デイ』のあたりまで。その後曲のジャンルが変わるにつれて距離ができて、最近は聴くとしても昔のCDでした。

曲はやはりその頃の、ジャズとロックが混ざったような感じが好きで、詞と相俟ってすごく美しいし、おこがましいかもしれませんが、自分にとって「しっくりくる音楽」であります。(もちろん多くの方にとってもそうだと思います)

歌詞の隠喩表現も魅力です。最初はもちろん訳詞を読んでいましたが、そのうち少しずつ原詞のほうも辞書をひいて読み合わせ、すべてではありませんが、キリスト教モチーフの意味付けなども補完して味わうようになりました。思えば曲がりなりにも英語を詩的に味わう、ということを覚えたのは、スティングの歌詞からかもしれません。直訳っぽい表現をかっこよく感じる、という感覚も、当時読んだ訳詞が影響しているかも。それから、ラブソングのテーマはうまくいかない恋愛や失恋のほうがいい曲になりやすい、という意味のことを言っていたのも覚えています。これ、ポップミュージックに限らないことのような気がしますね。(笑)

同じ曲がアレンジや演奏するときの演出で違う意味にとれる、という醍醐味も、この方のライブで体験しました。たとえば『ウィル・ビー・トゥゲザー』という曲。日本ではビールのCMでも使われたので、ある世代以上の方は無意識のうちに聞き覚えがあると思います。歌詞は「君と僕と赤ん坊」、と出てくるので「We」は家族であり、『セット・ゼム・フリー』の一部――「誰かを愛してるなら(そいつを自由にしてやりな)」――を一瞬引用してから続く「今夜僕らは一つになる」のリピートは、別の意味のラブソングのニュアンスでも聴けるのですが、これが黒人と白人の意味で「今夜僕らは一つになる」という大合唱になったこともありました。今回放送されたライブでは、またストレートなラブソングに聞こえました。

驚いたのが『ホワイ・シュッド・アイ・クライ・フォー・ユー』。大好きな曲なんですが(というか、この時代のアルバムは好きな曲ばかりで、驚くことに捨て曲がまったくないのです!)、この方、壮大でちょっと幻想的な情景・風景ラブソングに織り込んでイメージを広げるのがお得意な方なので、ずっとそのタイプの「ラブソング」だと思っていました。で、タイトルになってる部分は

Why should I cry for you? 
なぜ僕が 君を求めて泣かなければならないんだ?

…という感じで聴いていました。ところが、今回歌う前に「今日こられなかった(亡くなった)両親に」と言い添えたことで意味が変わりました。

Why should I cry for you?
なぜ僕は あなたを求めて泣くのだろう?

cry for(「あなたに向かって/あなたを求めて 泣き叫ぶ」)が、子供がそこにいない親を求めて泣くイメージと重なりました。同時にいい大人が親に対して、今まで疎遠だったのに(親が死んだあとの)今になってなんでこんなに恋しいんだろう、というような。曲の見事な変容です。

I loved you in my fashion
僕なりに 君を/あなたを 愛してたんだ

も対象が違うとニュアンスが変わって……なんとも得難い体験でした。

もともとこれが入っていた『ソウル・ケージ』は父親の死の直後のアルバムなので、そういうベースがあったのかもしれません。しかし二十数年間持っていたイメージがガラッと変わった瞬間は衝撃的で、感動的でもありました。

ライブを見始めて一曲目でもう「ああ、この曲についてブログに書こう」と思ったんですが、それが曲が変わるたびにそう思うんですよ。(笑)なんかえんえんと書いていられますが、きりがないのでやめておきます。しかし見ていて途中からぼーっとしてきてしまって。体調が悪かったのもあるんですが、この時のスティングの年齢をはるかに越えてしまったことをしみじみ感じました。踊ったりはしないタイプのライブですが、かなり消耗すると思います。体力あるなあ、さすがに。

でも、一度日本公演で風邪をひいて(?)まったく声が出てなかったことがあって、ファンながら「金返せ」と思ったことを思い出しました。たしかそのあとの公演はキャンセルになって、当時の写真週刊誌に露天風呂に浸かってる写真が載って、「ハダカになってごめんなさい」的なキャプションがついていたと思うのですが……謝罪にしてはずいぶんオレ様な写真だなあ、と思った覚えがあります。(笑)

…で、新譜の宣伝もしっかりされているのですが、「今のスティング」が……相変わらずかっこいいものの、すごく愛想のいいおじさんになってるのがちょっと印象的でした。とんがってないというか、一杯入ってるのか? と思ったくらい。(笑)あと五年で70だそうで、その時にまだ演奏活動をしていたい、と語っていました。70歳のバースデーライブ、ほんとに見てみたいです。