2017年5月25日木曜日

見事な昇華/『メッセージ』感想(その1)


映画になった『あなたの人生の物語』、ようやく見ることができました。
未見の方はとにかくご覧ください。予想以上でした!

まずはそれを書きたいです。映画としてすばらしい出来映えでした。原作ファンの目線でも文句なし。それどころかそんな言い方はおこがましい、期待をはるかに超えた完成度。大袈裟でなく、SF映画としては『惑星ソラリス』や『2001年宇宙の旅』の系統の感触で、ああいった映画と並ぶ名作として残ると思います。女性が主人公の映画としてもエポックメーキングです。

自分は基本ただの映画好きですが、今回は原作刊行時以来テッド・チャン氏のファンでもあるため、特に原作からの脚色部分に興味が行っています。それで以下の感想ではいわゆるネタバレも含みます。ネタバレというとなんか軽いんですが、この映画は主人公の言語学者ルイーズ・バンクスの視点で語られる一人称の物語であり、観客は彼女が作中で味わう驚きを一緒に体験することになり、そこが映画の構造の大事な部分の一つです。それを味わい損ねるのは損だと思います。自分を含め、原作を読んでいるとその「驚き」は彼女と共有できません。記憶を消せるならそうして見たいですけれど(笑)、その代わりに、原作からの昇華の妙にうなることにします。

そんなわけで、以下の感想では両者の比較を含めて大切な部分にも触れます。未見の方はぜひ見てからお読みください。

*      *      *

思いつくままに項目で書き出したので、目次を書いておきます。
・導入部
・この映画の「ロロ・トマシ」
・編集
・「子供を作ろうか?」
・映像の質感
・音楽
・スケールアップしたのに、ドンパチがない
・パンフ

導入部

冒頭で娘の誕生から死までを見せてしまう。原作とは違う導入部。ここからがっつり「映画として」つかまれました。白状すると、ここでもう泣いてしまいました。シークエンスに泣けたのもあるし、脚色や演技、映像のトーン、その他いろいろのレベルが高いのが、ここでもう確信できて感激しまして。そのあとも「殻」やエイリアン自体をなかなか見せず、丹念に塗り込めていくようにリアリティを高めていきます。「見せない」ことをうまく選択するのは、映画には(いや、映画に限らず)とても大切ですね。これに注意が払われているために、題材が化け物じみていても精神年齢が高く映る映画がたくさんあります。

娘が亡くなる年齢は原作の25才からかなり幼く変わりました。これも効果的でした。チャン氏自身も女優がエイミー・アダムスであの見た目と年齢なので、原作通りの年齢の娘にするのは不自然だと現実的なコメントをしているのを以前見かけました。(映画として必要な措置だと原作者が理解してらっしゃるのが、おこがましいですが嬉しいです。惚れ直しました)女優に合わせた、どころではない効果が上がっています。ルイーズの痛ましさが強烈なものになっているのです。子供の死因も違います。原作では成人後にロッククライミングの事故で亡くなり、映画ではたぶん小児ガン。これも、ラストの「わかっていても選択し、一瞬一瞬を大切にする」というところに生きてきます。

「ティーンエイジャーの娘をガンで失ったルイーズ」は、「25才の娘をロッククライミング中の事故で失ったルイーズ」よりもさらに痛ましいです。娘が弱っていく様子をずっと見守らなくてはならない母親。それを丸ごと最初に見せることで、観客は彼女に同情し、彼女に寄り添った形でうまく映画に入っていけます。

また、映画では軍人がより知的な雰囲気になっています。ただし、あくまで軍人だというところははずれていない。フォレスト・ウィテカーの演技も見事。原作の軍人は(ルイーズのコミカルな批評もあって)もう少し愚直な印象でした。比べると映画のほうが好みです。ジェレミー・レナー演じる物理学者のイアン・ドネリーは、原作とあまり違わない印象。ちょっとナンパっぽいところも原作通り。(名前が原作の「ゲーリー・ドネリー」から「イアン・ドネリー」に変わっていますね。主人公や大佐の名前は変わってないのになぜだろう? 個人的にはちょっとした偶然があって嬉しいですけど……(笑))

この映画の「ロロ・トマシ」

これは自分用語なので説明を。「小説としては欠けではないけれど、映画にするには『足りない』もの」。それがここで言うロロ・トマシです。『L.A.コンフィデンシャル』にあったモチーフで、ご覧になった方は覚えていらっしゃると思います。メインキャラの一人が警官になったきっかけで、クライマックスにかけて重要なキーワードになります。これは原作にはありません。…しかしこれが映画の転換点を創るキモになり、これなしには映画として成立しないくらいです。ある意味別の物語を挿入しているわけですが、それでいてベクトルはズレていないのです。(当時映画館に通い詰めまして、何でこんなに面白いんだと原作に興味が湧き読んだのですが、ロロ・トマシが原作にないのは衝撃でした。同時に脚色ってこういうものなのか、と理解できました。アカデミー賞の脚色賞を受賞している作品です。横道ですがこちらも超おすすめです!)

今回も、「ロロ・トマシ」に当たる要素が追加されています。それがアメリカはじめ各国の軍事関係のディテールと、特に中国の軍人のくだり。これは原作にはまったくないし、最終的に「彼ら(ヘプタポッド)は何をしにきたか」も原作には出てこない要素でした。だから、クライマックスで電話を奪ったルイーズが「でも何を話せばいいの。どうしよう」というシーンは原作を読んでいてもハラハラできました。(嬉しかったです!)中国の軍人のくだりは映画そのもののテーマに触れるモチーフになりました。これを加えたことで映画としてスケール感と情感が増し、ストーリーの落としどころも整い、原作とは違うテーマも盛り込むことになった――これは改悪ではなく良い「脚色」だと思いました。映画と小説は文法が違うために行われることで、むしろ原作が小説の場合は、作品の質を「映画として」高めるために必要なことが多いと思います。

(繰り返しますが、これは原作に小説としての欠けがあるということではありません。「ロロ・トマシ」はあくまで映画の形態で必要なものです。ロロの比喩は『あなたの人生の物語』映画化を聞いた時点でも書いたのですが、じつはその後原作者のチャン氏も、原作小説と映画の関係を語るときに『L.A.コンフィデンシャル』に言及していました。やはり映画を見てから原作を読んだのだそうです。そちらではロロの話は出ませんでしたが、ちょっと嬉しい偶然でした)

編集

ちょっと見ていてきつくなってくる、あるいはダレてきそうだと思うタイミングで、うまく「世界がどう反応しているか」の現実的なニュースが挿入されます。プロットというより観客の生理を考慮してるように感じられるので、実際に編集段階で工夫していったのでは。(パンフで確認できました。物語の構造自体が編集室でようやく固まった、とのこと)これが気を逸らすのではなく、それ自体が進行していくストーリーで、リアリティもその都度補強されます。最後にはそこがルイーズの物語と融合。これも原作にはなかった要素。見事です。

「子供を作ろうか?」

原作からの台詞の流用は少ないように感じました。ルイーズのキャラが少し変わっているので、合わせて原作にあったジョークのたぐいもなくなっています。その中でキーワードと言えるこのドネリーの台詞はやはり使われていましたね。(原作の邦訳では「子供は作りたいかい?」。原語では同じ台詞だと思いますが、原作版の訳は「意志を聞いている」ことがより明確になっていると思います)これは予期していたことでもありました。原作はこの台詞で始まり、この台詞で終わるようなものですもんね。

「ええ」と答えるルイーズは、それを選択するのだ、という意志を込めています。行く末がああなるとわかった上で――幼くして病気で死ぬ子供ができるのだと知った上で――それを選択するのだ、という台詞です。原作は死因が事故だからちょっとニュアンスが違います。これも映画オリジナルの工夫が実を結んでいると思います。原作の印象的な最後の一文を心の声としてナレーションで使うこともできたと思うんですが、映画ではやはり、画面で見せるほうがいいですね。

映像の質感

曇り空の、湿った質感。イギリスか北欧の映画のようです。アメリカ映画では珍しいと思うけれど、最近はそうでもないのかもしれませんね。ニュアンスとリアリティがある色調・質感でした。

音楽

SFには違いないけれど、作品の感触は『2001年宇宙の旅』や『惑星ソラリス』の系統。そのムードを作り上げていたのが音楽でした。すごく独特ですばらしいです。夢の中にいるような気分で帰ってきたのはこのおかげ。

スケールアップしたのに、ドンパチがない

これはほんとに素晴らしいことだと思いました。皮肉に言えば「ハリウッド映画なのに」です。スケールが画面の派手さではなく、概念の大きさになっている。ドンパチをどう回避するのか、という大きなテーマはやはり原作にはなかった要素で、これは今の世界状況で見るとまた重要な意味を感じますね。

パンフ

小さくて品がよく、内容も写真とプロダクションノートとキャスト等に比較的多くのページを割いていて好感を持ちました。最近はパンフレットに失望させられることが多いので……愚痴になりますが、やはり作品そのものの一次資料的なものが読みたくてお金を払うんですよね。それが最近は半分以上日本のライターさんの感想文、ということも時々あって、申し訳ないけれどうんざりしてしまうことが多くなりました。もちろん作品の理解を深めるための記事は別ですが、一般論としてよほどの縁(ゆかり)の人物でなければ、単なる感想文・称賛文は作品パンフ以外で読めば充分だと思います。作品を見る立場で手にするものですから、「そこを考えるのは観客の楽しみ」という部分もありますし。…まあ大人の事情はいろいろあるのだと思いますが。(あ、現に書いておられる方々に対してどうこう、ということではないので念のため! パンフのコンテンツを企画する際にこうしてほしい、というササヤカな願いです。ビンボー人には安くないお買い物ですから(笑)。しかも中を確かめられませんしね)

今回は特に原作に思い入れもありますし、情報はネットで探せるので最初は買わないつもりでした。でも作品があまりによかったので、少しでも監督や脚本家の言葉が読めたら、そして記念にもなると思って購入しました。日本の寄稿者さんは今のところお名前だけしか拝見していませんが、唯一「もし寄稿しておられるなら読んでみたかった」、『あなたの人生の物語』の訳者、公手成幸さんはおられませんでした。この作品自体を訳した方の目線での映画に対するコメントなら読んでみたかった。残念です。ふだんは訳者さんの存在を意識しないのですが、この短編に関しては独特の文体がすごく効果を上げているので……。(お読みになった方は同意していただけると思います☆)

そしてやはりチャン氏のファンとしては、ライターさんや評論家さんのどんな名文よりも、原作者のまとまったコメントを載せてほしかったなー……というのが本音です。ご本人は公式サイトもSNSもやってない方で、なかなかご意見とか目にできないので……。(海外ですでに出ている販売ソフトの特典映像では、たくさん話していらっしゃるようです。日本盤でも字幕をつけて入れてくれるかしら? その一部でいいからテキストにしてパンフに載せてほしかったなー……)

*   *   *   *   *

「武器」の話とか映画で省かれた要素についてとか、まだまだ書き出してるんですが(^^;)、キリがないのでひとまずパート1とします。見てきた日のとりとめない感想から愚痴まで(笑)、お付き合いくださりありがとうございました!

映画化されてほしい、と思っていた作品ではないけれど、あの自作に厳しいチャンさん自身が満足しているとのコメントを読んでからは、とても楽しみになっていました。ほんとに歴史に残るSF映画の一本になるのでは。贔屓目抜きでそう思います。SFうんぬん抜きにしても、こんなにすばらしい形で小説が映画化=昇華されることは稀です。原作に細部が忠実かどうかでなく、映画としての完成度という基準で。自分の見たなかでは、それこそ『L.A.コンフィデンシャル』以来の快挙じゃないかと思えます。

余談ですが、映画に引力があった証拠では、と思えるお話を。昨日見た時、じつは隣の席にすわったおばさまが袋入りのポップコーンとボトルのジュースを持ち込んでいたんです。(持ち込み可の劇場でも音の出る袋の時点でアウトですが、今回は持ち込み禁止の劇場です!私もロビーで飲んでたペットボトルはバッグに入れたままだったけど、劇場内では飲みませんでしたよ☆)それを予告編のときにがさがさ封をあけて膝に置き、わざわざ映画が始まるまで待っていたんです。

上映中に袋をガシャガシャやられたんじゃたまらないなあ、食べるなら始まる前に食べてくんないかなあ……と気が気じゃなかったです。第一ポップコーン食べながら見るタイプの映画じゃないだろう!と立腹もしたんですが、匂いが流れてきたのは冒頭だけ。そのあとはこちらも隣人の存在を忘れて映画に入り込みました。映画に引き込まれてほとんど食べなかったんじゃないかな。導入部でみごとにつかむ構造、ここでも効果を見ました。それと、映画館で売ってるポップコーンがカップ入りである理由を改めて実感したのでした……。(笑)そして出るときに、すごく大きなキャラメルがけポップコーンのカップを持ってる方たちを見かけましたが、ほとんど減ってませんでした(笑)。やはり引き込まれて食べるどころじゃなかったんじゃないかな……こんなところにも、いろいろ表れるものですね。観客はかなり入っていました。レディースデーながらおじさん率高めだったのも印象的。お手洗いではちょっとわかりにくかったところを話していた人もいたので、そのへんはまた改めて。でも、いわゆる「SF映画」ってふだんはわりと若い人の見る映画というイメージですが、この映画は「大人」のかなり上のほうまでアピールする映画じゃないかと思います。

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