2017年6月3日土曜日

「武器」/『メッセージ』感想(その2)

『メッセージ』感想の続きです。今回も原作との比較が多いので、ある意味原作未読の方にはそのネタバレかもしれません。(^^;)気になる方はぜひ原作を先にお読みください。


現在の日本版原作収録短編集の表紙。(アマゾンより)
うーん、映画化の記念にほしいかも…❤


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また項目ごとなので、目次的に。
・「武器」
・構造の美しさの見事な翻訳
・ルイーズと娘の関係
・省かれたもの
・「ゲーリー・ドネリー」から「イアン・ドネリー」へ
・原作『あなたの人生の物語』について

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「武器」

映画の中では、ヘプタポッドがはっきりと、ルイーズは未来を知ることができる、それが武器だとほのめかしているんですが、「武器」はそこだけではないですね。それが物語全体のテーマとつながっていて、これも原作にはない要素でうなりました。(「時間を超えて得た知識」というSF的なアイデアが、人間の感情的なドラマの核につながる――という、このメビウスの輪みたいな感覚は、同じテッド・チャン氏の『商人と錬金術師の門』を彷彿とさせます)

クライマックスでルイーズが中国のシャン上将を説得できたのは、じつは未来を見たことや中国語ができることだけが原因ではない――これは見た翌日の明け方に思い返していて気づいたことでした。ここで彼女は、おそらく「愛する者を失った痛み」をも共有しているのでしょう。シャンにとっては過去の、ルイーズにとっては未来の。そこを想像させる、という意味で、あそこの中国語に字幕がなかったのはありがたかったです。中国の方はもちろん聞き取れるでしょうから、台詞の中国語が正確であることを祈ります。一時期ハリウッド映画で、明らかに日系でない俳優さんがおかしな日本語を話すシーンとかけっこうありましたよね(^^;)。そういうことで気が散ったら興ざめですから。

(ちなみに原作者のチャン氏自身は中国語は話せない、と以前インタビューで答えていました。シャンの存在も含め、映画の中国語のシークエンスは原作にはまったくありません。作家さんが中国系であることと作品の要素をダイレクトにつなげることは、ちょっと控えておきたいです)

共感力や言語力は男性より女性のほうが勝っている、と一般には言われるけれど、個人レベルではそう簡単には言えないともちろん思います。けれども、これは主人公が女性であることに説得力を持たせる要素にもなっています。弱々しさゆえにでなく、こういう「武器」を持つがゆえに。ここが「上司でさえ説得できない」シャンを説得できた理由でしょう。共感や感情移入は、じつは言葉を翻訳する上では非常に大切な部分です。同じ言葉でも、文脈がわからないと正確に解釈できないのは映画でも触れていましたね。個人的にも仕事で痛いほど感じています。そしてその文脈を推し量るところで重要なのが、発話者を理解する能力、推理力、そして共感力でしょう。(蛇足ながら強調しておきますが、もちろん理解と容認は別物、ですね)

脚本家のエリック・ハイセラーは、映画化の企画を持ち込んでは断られる過程で、何度も「主人公を男性に変えるなら」と提示されたそうです。それを蹴ったのは原作の尊重以前の正しい判断で、おそらくこの「武器」――映画で触れている「未来を見る力」と「中国語」を、仮にジェレミー・レナーが演じたイアン・ドネリーが持ったとしても、シャンを翻意させることは難しかっただろうと思わされます。逆に、そこで「共感を示せることが強みの男性キャラクター」を創造して押し通せたとしたら相当新しいけれど。おそらく今の風潮では、主人公を男性にした時点で作品自体の方向性が変わってしまったことでしょうね。

構造の美しさの見事な翻訳

チャン氏の作品の魅力の一つはその構造自体の美しさにあって、個人的にはそこにもとても惹かれています。それをこの映画は引き継いで、映画として別の形で再現している。換骨奪胎しながら大切な部分が忠実なんです。その上に、映画オリジナルで追加した部分もその同じトーン、審美眼で貫いている。だからチャン氏の作品の香気が、スケールが大きくなっても失われていない。これは言うほど簡単なことではないし、脚本家の力量と原作への入れ込み具合がいい方に出ていると思います。

脚本を完成させる過程で、メールのやりとりをして原作者のコメントをもらったそうですが、それも大きな方向をはずれないための助けになったのかも。やりとりの内容が不明なのでここは想像するしかないですが、もしここで原作者が「原作のディテールの維持」に固執したら、こういう作品は不可能だったでしょう。ディテールにこだわって全体の完成度が犠牲になる、ということは原作ものの映画ではありえます。今回はいろいろな幸運と努力のたまものなんでしょうね。アカデミー脚色賞、ノミネート止まりでしたが穫ってもよかったのに、と思います。

余談ですが、作品賞も穫っておかしくなかったと思います。今年作品賞を獲得した『ムーンライト』も見ましたが――たしかにいい映画ですが、『メッセージ』のほうが感動は贔屓目抜きで桁違いに大きかったです。(間違って授与されかけた『ラ・ラ・ランド』は見ていないのですが、今のアメリカの世相でこういう映画が大きく受け入れられるのは理解できます)ただ、今年黒人の映画に賞を与える、というのには、昨年そのへんで批判を浴びたアカデミー賞としては意味があったのだと思いますけれど。

ルイーズと娘の関係

これも原作とはかなり違って、リアルさで言えば原作のほうがリアルです。娘とルイーズはまったく違うタイプの女性で、「理解できない」部分や娘がルイーズに対して反発する部分が描かれています。この心理のリアルさゆえに、最初読んだとき「この作者は女性で、男性の名前で発表しているのに違いない」と思ってしまったくらいでした。でも映画はこの要素のほとんどを「微笑ましい思い出」に変換しました。これはこれで英断だと思います。原作は枝葉を伸ばしているイメージで、映画は一つに収束していくイメージを感じます。ルイーズの痛みに寄り添いながら進む映画では、このほうがいい気がします。

省かれたもの

さっき換骨奪胎、と書きましたが、もちろん「奪」された要素は他にもいろいろあるわけで。その中で特に大きな一つが、原作では図入りで説明された「変分原理」。ここはたぶん映像化は難しいと思われてた理由の一つで、自分もそう思っていました。(原作通りにドネリーがボードに書いて説明する、くらいしか思いつきませんが、おそらくそれをしたら、物語の流れがいったん止まるような悪影響が出たんじゃないかと思います)それをなんと、映画はあっさり捨てました。言語によって知覚が変わる、という概念「サピア=ウォーフの仮説」を台詞で説明しておいただけ。すごい英断です。

チャン氏は自作の解説で、この変分原理に対する興味から物語が生まれたと書いています。だからある意味原作の核の部分を抜くことになっちゃうわけで、それを原作者がちゃんと認めたというのもすごい。さすがわかってらっしゃいます。(もう褒めたくて仕方ないのでおこがましい表現すみません!(^^;))自分の目から見て、物語の美しさやベクトルはぜんぜん崩れていないし、それどころかパワーアップしています。つまりこの映画は、自分のような数学が苦手な(笑)読者がテッド・チャン作品から感じ取る「美しさ」の部分を取り出して、拡大してくれているのです。すごいことです。

ただ、正直あのヘプタポッドの文字が時系列の概念をもたない、という部分は、映画ではもう少し丁寧に「イメージとして」表現されていたら、とは思います。変分原理のくだりを省いた分、ちょっと解釈が「飛んでいる」印象は映画を見ながらも感じました。(このへんが、上映後に「わかりにくかった」と話されていたのを耳にしたところです)それと、「未来を知ることはできるけど『全能』ではない」というところが、変分原理のイメージ(ある光線が出発して初めて目的地ができる、というようなリニアな感じ)があると、やはりすんなりイメージできるんです。でも映画としては、そこはエイミー・アダムスの演技と精緻な編集で充分カバーされていると思いました。ここで、SF映画である以上に一人の女性の物語にする、という賢明な選択がされているのも感じます。原作も「SF」を強調する必要はまったく感じないんですけど、映画の判断も輪をかけて成功していると思います。

「ゲーリー・ドネリー」から「イアン・ドネリー」へ

映画のイアン・ドネリーは、原作では名前がゲーリー。扱いの大きな差は先ほどの「変分原理」のくだりを省いたことで、この人の専門分野を語る姿が映画ではほぼなくなり、おかげで完全にルイーズの引き立て役になってます。でも「いい引き立て役」で、ルイーズを中心に置く構造が明確になりました。ドネリーのキャラクター(人格)はかなり忠実に再現されていますが、原作のドネリーのほうがよりリアルな軽さ(?)がありますね。未来で再婚する「なんとかいう女性」の存在まであっさり語られますし、ヘプタポッドのプロジェクトの間に2人はデキてしまいます。ルイーズとの間で「あなたがこのプロジェクトに従事してるのは、わたしをベッドに連れこむためでしかないんだから」「ははあ、ぼくのことはすっかりお見通しだね」なんてジョークのやりとりがあるくらい。

原作の「ゲーリー」とルイーズが別れた原因は語られませんが、なんとなくあの雰囲気だとよくある浮気かな、という感じがして、そのへんが男性像としてリアルでもあるのです。映画では、そういう水をさす要素(笑)の代わりに、そこもルイーズが獲得した未来を見る力ゆえ、という整合性を持たせました。ここもすごい工夫。うなったところであります。そしてゲーリーよりイアンのほうが、根の誠実さを感じさせるキャラクターになっていますね。

ついでに言えば、映画ではルイーズとイアンのラブシーンやキスシーンのたぐいがまったくなかったのも大英断だと思います。(原作では前述の通り、プロジェクトの途中でゲーリーがナンパして(笑)仲が深まるので、ゲーリーの所に泊まった翌朝のルイーズ、という描写もあります)ハリウッド映画だとサービスとして、必ずと言っていいほどこの手のシーンは入りますよね。これがないのは画期的かつ「リアル」で、物語が引き締まり、とても効果的でした。と言っても、小説がそこで失敗しているわけではまったくなくて、映画がこれでいいのはルイーズのキャラが少し原作から変わっているから、なんですよね。というか、描く部分を選んでいる。映画は最初からルイーズの薄暗く深刻な心理のトーンで統一されているので、浮ついたシーンがないほうが、それが壊れずに済むんですね。

じつはヘプタポッドが去ったあと、2人が草原で話すシーンになったとき、失礼なことに「あ~きっとここでキスシーンやっちゃうな、台無しだな」みたいな「覚悟」をしたんです。(「失望の準備」的な)しかし! みごと裏切ってくれました。英断です!ハグのほうがトーンに合ってるし、なんというか、見ている方にとっても「気持ち」のベクトルに合うんです。嬉しかったし、「完璧だ」と思いました。最後までそれが崩れませんでした。

原作『あなたの人生の物語』について

なんか「映画で原作より良くなってる部分」ばかり書いてしまったんですが(笑)、もちろん原作にしかない魅力も数々あるわけで。ルイーズの「実感」が描写されるのもその一つ。たとえば映画にはない「サラダボウル」のシーン(ゲーリーが料理をするからとルイーズを夕食に誘い、その材料を一緒に買いに行く場面で、未来につながるサラダボウルを買うくだり)の、「未来を知っている人が、自由意志をもったまま、その未来を現実化していく」不思議な感覚が描かれているんですが……これを映像で、となると難しいと思います。文章と映像、やはりそれぞれ得意分野はあるわけですね。

手持ちの短編集は古い表紙ですが、
2007年のワールドコン(世界SF大会。日本開催でした)でサインを頂いた、
思い出深い宝物です。ちょいと御開帳。(笑)

間違って本全体の扉でなく『あなたの人生の物語』の扉に書いていただいたのですが、
収録作で一番読み返しているのは『理解』。(好敵手ものの極北なので、腐属性のお仲間にも特におすすめな一作です(^^))

あなたの人生の物語』の文庫を、改めて取り出してみたんですが――オビに「チャンを読まずしてSFを語るなかれ」というグレッグ・ベアの言葉が麗々しく印刷されていて、SFを語るつもりなんぞ毛ほどもない自分はちょっと気後れしてしまいます。(^^;)でも刊行時は未知の作家さんですから、こういうことは必要だったんでしょうね。話題にならなければ自分なんぞは手に取る機会はなかったわけで……きっかけは忘れましたが、たぶん書評か何かを読んだんだと思います。リアルタイムの作家さんに入れ込むことがほぼないので、貴重な体験になりました。

『あなたの人生の物語』は、改めて読んでみると専門用語もかなり出てくるし、決して誰にでもとっつきやすいという小説ではないと思います。でも「SF」と強調する必要はない独特の美しさがあって、自分などはそこにこそ、この作家さんの作品の魅力を感じるのです。普遍的なものがあり、それがリアルで強力なところが。

インタビューやその他のレクチャー活動などを拝見しても、テッド・チャン氏はSFというジャンルに深いこだわりを持ってらっしゃり、「思考実験や哲学的な問題を吟味すること」がSFの肝心な部分だと語っているし、数学や物理学に美を見ることができるタイプの方です。だから単に宇宙を舞台にした冒険もの等はSFとは別物、というとらえ方をしてらっしゃるのですが、そこは差別ではなく区別。いわば公正で真摯なサイエンス・フィクション求道者なのだと思います。そしてそこから紡がれた物語や構造には、読者に予備知識を要求しない、自分のような読者が味わえる品の良い美しさがあり、自分の感覚で言うと、言葉と構造両方から詩に近い感触を感じます。

専門用語や数式などが出てくると、(特にそういったものに馴染みがない人間としては)「これを知ってないとだめなのか?」と門前払いを喰ったような気持ちになりがちなものですが、きちんと書かれた物語はそこで終わったりはしません。この方の作品では、自分は「イメージ」として消化させてもらいましたし、馴染みのないたとえ話に接する感覚も、自分にとっては逆に魅力の一つになっています。(書いた方に力量がなければ、ただ難解なだけの印象になってしまうと思います。それは作品としては格が低いことだと自分は思っています)かつ感情に訴える力がものすごく強かった。自分にとってこの方の作品は、SFという以前に美しくて引き込まれる宝石のような物語。ただ使う小道具が違うだけで、しかもその小道具でないと出せない魅力を持っているのです。

パンフレットにあったエリック・ハイセラーの言葉が、原作の魅力をズバリ言い当てているので引用させていただきます。

「久しぶりに、脳みそとハートの糧になるものに出会ったと思った。考えさせられたし、さまざまな感情を味わった。知性のある読者として、敬意をもって接してもらえていると感じる作品だった」

…作品の核はまさにそこで、映画はそこをきちんと継承して、かつ発展させているんですね。だから細部が変わっても違和感がないんです。読者/観客として丁重にもてなされている、という感じがするのです。これもめったにあることではありません。幸せなことだと思います。


…映画については、「ルッキング・グラスから『殻』への変更と殻の中の設定は秀逸!」などなどまだ書き足りないんですが、今回も長くなりすぎたのでこの辺で。


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オマケ

原作収録短編集の英語版はいろんな表紙で出ていましたが、下の文庫の左にあるものは、自分にとってちょっと特別です。チャンさんご自身が自腹でイラストレーターを雇い、アイデアも出して描いてもらったというイラストを使ったSmall Beer Press版。最初にアメリカで刊行された時の表紙がひどくて(見るとほんと内容と違いすぎるイメージです(^^;))自腹を切って差し替えたかったのだとか。結局本は元の絵のまま出たんですが、新人の時なのに勇気があるなーと…。このエピソードを印象的に覚えていた絵だったので、のちにそれが使われていたこれを見つけて、心意気が好きで購入しました。ご本人はこういうイメージ持ってたのかー、というところも興味深かったです。

(あ、kindle版も出てますね。英文参照したいときは主にそちらで見てます。検索できるので便利です☆)





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